◎ 近代木造建築史の3つの大きな変化 「科学技術に自然を着せる」。これは建築史家、藤森照信氏が考えた言葉で、45歳で建築家としてデビューした初めての作品『神長官守矢史料館』以来、自身の建築づくりのベースとなっています。同史料館は藤森氏の故郷である長野県茅野市にあり、防火や耐震のための構造、設備は現代の科学技術でつくり、外壁は木と土などの自然材料を使っています。文化財の資料館のため木造ではつくれなかったので、「自然を着せる」ことに挑戦した意欲作といえます。木には実に深い味わいがあり、条件が許せば可能な限り大好きな木でつくると話します。木造建築の変遷や特質、住宅と公共的建築の違い、自然材料にこだわった自身の建築、蟻害のエピソードなど木造建築とその周辺の幅広い知見について藤森氏に聞きました。木造建築の変遷については明治以降、外国の影響で三つの大きな変化があったと言います。先ずは明治の初期、ヨーロッパから「トラス」という新しい構造が入ってきます。 「トラス構造は住宅にはほとんど使われず、工場と倉庫がトラスに変わっていきます。材料が少なくて構造的に強い。日本で明治以降にできた工場はかなりの比率でトラスになりました。材料そのものは木でそれまでと変わりはありませんが、オランダ、イギリス、フランスほかの技師らの指導で製鉄所、駅舎などがトラス構造でつくられました」藤森氏が東京大学大学院で師事した建築 ii屋)と「和小屋」の2系列に分類して、2史家の村松貞次郎氏は、1959年の日本建築学会論文で『幕末・明治初期洋風建築の小屋組とその発達』でトラス小屋組の初期のころの状況に触れています。村松氏は当時のトラス構造を「洋小屋」(トラス小つの系列の具体的な建築を挙げて検討し、明治中期から後期にかけて、いかに耐震的・合理的な洋風トラス小屋組に統一されていったかを考察しています。煉瓦造や石造建築の鮮やかな展開の影で、トラス小屋組が木造建築構造の合理化・大工技術の近代化を強力に推し進めていったことが、明治時代の建築史上の役割だったしています。次の変化が1974年7月に建築基準法の技術基準が告示されたアメリカからのツーバイフォー工法の普及です。 「アメリカの木造は、明治時代に北海道などで、あるいは関東大震災の復興時に若干入ってくるのですが根付きませんでした。そして、本格的に根付くのが60年代後半から70年代にかけて日本の高度経済成長期で、国が住宅の量的拡大を図る計画を打ち出し、そこにアメリカのツーバイフォー住宅が一緒に入ってきます。日本人にアメリカ文化への憧れもあったが、背景には日本の自動車輸出の貿易不均衡解消も大きくかかわっており、ツーバイフォーの工法と材料が一気に輸入されることになりました。国内のプレハブ住宅メーカーの多くがツーバイフォーを販売することになっていくわけです。これは木造住宅の歴史においてとても大きな変化です」そして3つ目の変化が、ヨーロッパから入ってきた3層、5層などの集成材「CLT(Cross Lamnated Tmber)」です。ひき板(ラミナ)を並べた後、繊維方向が直交するように積層接着した木質系材料です。建築の構造材の他、土木用材、家具などに使われています。1995年頃からオーストリアを中心として発展し、現在は日刊建設通信新聞 記者 津川 学10agreeable No.56 October 2020/10藤森照信さん建築史家・建築家・東京都江戸東京博物館館長 藤森照信氏に聞く近代木造建築史の変遷とモダニズム建築の断片「 科学技術に自然を着せる ー木造建築の諸相ー 」(上)
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