はじめにベンガラとは 1) 2)実験概要です。その成分は酸化第二鉄を主成分とする無機の赤色顔料の一種で、人類が使用した最古の顔料ともいわれています。ベンガラは、赤く燃え上がる炎・空に輝く太陽・体内を流れる血潮の色として特別な色と捉えられ、そのため「魔除け」「厄除け」のほか、死者の「再生」の象徴と考えられていたようです。フランス南西部のラスコー洞窟やスペイン北部のアルタミラ洞窟での赤色壁画は後期旧石器時代(約17000年前)のものであり、特に生命力溢れる動物が生き生きと描かれているラスコー洞窟壁画は歴史の教科書にも掲載されていて有名です。わが国では、縄文時代草創期(約11500年前)の宮崎県塚原遺跡から日本最古の彩色土器が出土し、その内側にベンガラで着色した赤い線が描かれていたことが報告されています。他には9500年前にまで遡るといわれる縄文時代早期の鹿児島県上野原遺跡や、縄文前期(約5500年前)の青森県三内丸山遺跡などから出土する縄文土器に同様の痕跡が見られ、古墳時代に入ると、北九州地方に数多く点在する装飾古墳(5世紀ごろ)などにも同様の例が見られます。ベンガラは鉄の酸化物を主成分とするため空気中でも安定しており、耐候性・耐久性に優れていたことがこのように多くの古代遺跡の事例が残ってきた理由と考えられています。ベンガラの建築への利用例は、冒頭で紹介した各地方の伝統民家などに多く見られる木材表面塗料としての利用であり、代表的には京都や金沢の町屋のベンガラ格子などが有名です。日本での人工のベンガラ製造は岡山県の吹屋地区で江戸期の宝永4年(1707年)自然風化によってできるローハ(硫酸鉄水和物まったといわれ、宝暦年間(1750年~1763年)に、硫化鉄鉱(磁硫鉄鉱)から人工的に硫酸鉄を凝結させる方法を発明して大量生産の道をつけたとされています。このような長い利用の歴史のあるベンガラですが、木材表面塗料として防腐、防蟻の性能はどの程度なのか、以下のような簡単な実験をしてみました。防腐試験の供試体には約30×30×600mm、防蟻試験の供試体には約30×30×350mmのスギの辺材を使用しました(試験に供したマツ杭は京都大学大村和香子先生きました)。供試体は#240のサンドペーパーで下地処理を施した後、いくつかの調合によるベンガラ塗装を行いました。ベンガラは国産メーカーの「唐錦」という色目のベンガラ粉末を用い、調合にあたっては、旧知の建築家が紹介してくれた金沢市在住のベンガラ塗装の職人さんに具体的な方法をご教示いただきました。ベンガラ4 (ベンガラに似た赤色系塗料に朱、「魔除け」「厄除け」の意味があっFeSO4・nH2O)を原料に始(当時は森林総研)にご提供いただ各地の伝統的民家を見て歩いていると、内部、外部の木材表面に赤褐色系の塗装が施されている建物に出会うことがあります。特に西日本で多く見られます。写真1は愛媛県内子、写真2は広島県竹原、写真3は岡山県吹屋の民家です。いずれも外周木部を中心に赤から茶に近い色の塗装がされています。これらの多くはベンガラという伝統的な塗料による塗装です鉛丹(丹塗り)などがあります)。ベンガラなどの赤系の塗装には、たと聞きますが、実用的な意味はなかったのでしょうか。防虫のためという噂は耳にしたことがありますが、防腐、防蟻という面ではどうだったのでしょうか。既往研究をあたってみても、柿渋などについては文献が見当たるものの、ベンガラについては調べた範囲では見当たりません。そこで、大学を退職する数年前にベンガラの防腐・防蟻性能について調べたことがあります。本稿ではその概要を記してみます。ベンガラの語源は、インドのベンガル地方に天然に赤鉄鉱として産出する酸化鉄が中国を経てわが国に流入して来たところから、その地名が転化してベンガラといわれるようになったとする説が有力関東学院大学名誉教授 中島 正夫agreeable No.65 January 2023/1写真2 広島県竹原の民家写真1 愛媛県内子の民家写真3 岡山県吹屋の民家伝統的な木材表面塗料としてのベンガラについて
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