京都大学大学院 農学研究科 応用生物科学専攻 昆虫生態学研究室 田﨑 英祐Research Topics12研究トピックスヤマトシロアリの女王の長寿と抗酸化システム1. はじめに シロアリは, 繁殖分業を高度に発達させた真社会性昆虫である。彼らは, 基本的に一対の繁殖に特化した生殖カースト(王と女王)と無数の繁殖を行わない非生殖カースト(ワーカーやソルジャー)から構成されるコロニーの中で生活している。興味深いことに, この生殖カーストは, 非生殖カーストや単独性昆虫種と比較して数十から数百倍もの寿命を持つことが報告されている1)。なぜ, 彼らは短命な昆虫種の中で圧倒的な長寿を獲得し得たのだろうか。老化の進化説では, 生物の外因性死亡率と寿命との間に負の相関関係があることを説明しており2), 堅牢な巣の構造や非生殖カーストの保護行動によって実現する低い外因性死亡率が, 生殖カーストの長寿化に貢献する一つの進化的要因であると考えられている1, 3)。しかし, その一方でどのように長寿を実現しているのかというメカニズムの問いについては未だ不明な点が多い。シロアリの生殖カーストと非生殖カーストは同じゲノムを持っており, 彼らの間にある寿命や生殖能力の大きな差は, 遺伝子情報の違いではなく, 遺伝子発現パターンの違いによって生じている。このような興味深い性質により, 生殖カーストと非生殖カーストの分子レベルの比較解析は, 圧倒的な長寿や老化, 繁殖に関わる分子メカニズムを明らかにする良い方法となる。本稿では, 日本に幅広く生息するヤマトシロアリ(Reticulitermes speratus)の抗酸化システムに注目して、生殖カーストの中でも特に女王の長寿を支える分子メカニズムを紹介する。2. 老化の酸化傷害説 老化とはなにか。生体内の恒常性が低下し生理機能が減衰した結果, “死にやすくなる状態”を老化と呼ぶ。老化の分子メカニズムについては未だ不明な点も多いが, 生物老化を説明する一つの考え方としてDenham Harman氏によって報告された「老化の酸化傷害説」が多くの支持を集めている4)。これは, 生命活動の中枢を担う核酸やタンパク質, 脂質といった生体分子が, 反応性の高い酸化物質により酸化傷害を受けることで正常な機能を失い, 結果として老化の表現型が現れるというものである。この生体分子に酸化傷害を与える化学物質の代表といえるものが活性酸素種(reactive oxygen species; ROS)であり, ROSは生殖やエネルギー代謝, 免疫反応によって酸素分子(O2)から代謝副産物的に生じる。シロアリもさることながら, 好気的代謝を行う生物の体内では, 日常的に細胞内のミトコンドリア電子伝達系からROSの一つであるスーパー・−)が産生されている5)。通常, オキシドアニオン(O2産生されたスーパーオキシドアニオンは抗酸化酵素の一つであるスーパーオキシドディスムターゼ(SOD)によって直ちに別のROSである過酸化水素(H2O2)へ付均化される。続いて, 過酸化水素も同様に抗酸化酵素であるカタラーゼ(CAT)などによって速やかに水へと無毒化されるが, この経路が円滑に駆動しなかった場合, 生体内の二価鉄(Fe2+)を触媒として過酸化水素からROSの中でも特に毒性の高いヒドロキシラジカル(・OH)が発生する(図1)。適量に制御されたROSは, 生体内のシグナル伝達を担うセカンドメッセンジャーや免疫系の攻撃物質としてむしろ生体に有益に働くことが知られている6)一方で, 過剰なROSは酸化ストレスとして生体分子に傷害を与え, 結果として老化の原因になると考えられている7)。つまり, 生体内ROSをうまく調節することができれば抗老化または寿命延長効果が期待できるということであり, 過剰なROSを抑えるような抗酸化システムは生物の寿命に大きな影響を持つことが示唆される。
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