In Memorium : Tsuyoshi Yoshimura森林総合研究所 大村和香子4 追悼文を書く日が来るなど, 夢にも思っていませんでした。 先生からご病気の話を直接聞いたのは, 一昨年の12月のことでした。白対協の委員会のあと, いつものように「ちょっと頼みごとがあるんやけど~」と言われ, 内心, またか~と思いつつも「はいはい, 今度は何でございましょうか?」という感じで, 駅近くの喫茶店でワッフルをほおばりながら, , , でした。 その2週間ほど前, 日本環境動物昆虫学会年次大会が茨城県土浦市で開催され, 吉村先生はじめ, 板倉先生, 簗瀬先生, 所さん, 神原さん, そして私というメンバーで飲み会もして, そのときは, 先生ご自身もご存じなかったのだそうです。 いつかはこういう時が来るのは頭ではわかっているけど, やっぱり早すぎますよね。 以下, 思い出すままに, 書いていきます。しいです。 話を元に戻します。オーストラリアの元CSIROのMichel Lenz博士がダーウィン近郊でドラム缶トラップによるMastotermes darwiniensisの捕獲と, 野外試験の様子を見せてくださるというので, 吉村先生とメーカーの方々と4人で調査に同行させていただきました。写真はそのときの会食のときの様子です。見返したのですが, 現場の写真には先生は写ってなくて, シロアリとか試験体ばかりでした。写真1 Lenz博士(左端)との会食時の一コマ追悼文吉村先生との思い出1. 先生が着任した頃の思い出 吉村先生が助手として着任されたのは, 私が修士1年の10月のことでした。 「先生」と呼ばれるのが嫌?だから「さん」付けしてくれ, と言われたこととか, 覚えてます。 当時は先生ご自身が博士号取得のため日々実験されていたこと(イエシロアリ腸内原生生物の数を数えておられた記憶があります), 毎日, 昼休みにラジオの英会話を聴いておられたこと, 足立さんと時々キャッチボールしてたこと。 私が学生時代の先生の思い出は, ホント, これくらいです。ごめんなさい。2. 海外での思い出 ちょうど世の中はセカチューブームの頃。一応, ご存じない方のために補足すると, セカチューとは大ヒットした「世界の中心で愛を叫ぶ」という映画のタイトルの略。因みに私はその映画, 1秒も見たことがないですが, エアーズロックが映画の舞台になったら3. スキー場での思い出 「(当時留学生だったインドネシアの)Yuliさんがスキーをしてみたいと言っている。自分もやったことがないけど, この際, やってみるかな?」なんて仰るので, 某社のK口さんと当方で, とあるスキー場に, 一度もスキーを履いたことのないお二人をお連れし, 一度もスキーを履いたことのないお二人をリフトに載せ, 一度もスキーを履いたことのないお二人をゲレンデの上から下までマンツーマンで降ろしました。K口さんがYuliさん担当, 私が吉村先生担当。滑ることができても止まれない先生。ボーゲン人形状態でこっちに向かって突っ込んでくる先生。思い出します。自分は先
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