Research Topics1977年8月1984年7月~1986年3月長崎大学大学院水産・環境科学総合研究科 山田 明徳1983年2月~3月(松浦ら1983)30 小笠原諸島は豊かで独特な自然を有することから世界自然遺産に登録されている。その一方で, 世界的な侵略的外来種であるイエシロアリによる深刻な被害に見舞われており, 行政レベルで対策事業実施されている。この対策事業には, イエシロアリ駆除技術に堪能な業者だけでなく, 吉村先生をはじめとするシロアリ研究者も協力してきた。筆者も, 吉村先生の紹介で2014年に参加した。本稿では, 小笠原諸島のシロアリの分布の変遷と由来について, 父島のイエシロアリとヤマトシロアリを中心に筆者らのデータを含めこれまでに得られている知見をまとめることにする。 小笠原諸島は1593年に小笠原貞頼によって発見されて以来, 1830年には欧米人と太平洋諸島民が定住するようになり, さらに大正から昭和初期には人口が7,000人を超えるほど栄えていた(小笠原村サイトより)。太平洋戦争後は米軍の占領下に置かれていたが, 1968年に日本に復帰している。復帰以前のシロアリに関する資料は, 1912年~1915年に乾材シロアリのダイコクシロアリとカタンシロアリが分布していることを報告する数編の論文が存在するだけである1)。森本(1968)1)はこれらの乾材シロアリについて, 300年前に人間が小笠原諸島に定住するようになったことに伴って持ち込図1 1977年~1986年の父島におけるイエシロアリの分布の変遷まれたのであろうと推測している。先見性に富んだ意見も述べており, ダイコクシロアリによる今後の被害を懸念するとともに, 米軍によって太平洋の島々に広がっていったイエシロアリに対して, この50年の間に小笠原に持ち込まれていないかどうか早急に調査し, 今後, 日本国内からの物資の輸送によってイエシロアリやヤマトシロアリが持ち込まれないように検疫を強化する必要があることを訴えている1)。 森本1)の訴えもむなしく, その後すぐにイエシロアリの存在が表面化した。南山(1978)2)によれば, 父島ではこの当時すでにイエシロアリによる建物の被害が深刻化しており, 1976年6月には「雪が降るよう」と表現される猛烈な群飛が見られていた。南山らの1977年8月の現地調査では, 調査した被害箇所はすべてイエシロアリによるものであり, 他のシロアリによる被害は確認されなかった(図1)。また, 被害は建物だけでなく, リュウキュウマツやモクマオウ, モモタマナなどの生木にも見られた。森(1979)3)は, このような被害は戦前にはなかったという島民の話から, イエシロアリは戦中戦後に持ち込まれたのではないかと言っている。1994年10月31日付の東京新聞に掲載された小笠原に関する記事によれば, 戦後間もない1955年, フロ研究トピックス小笠原諸島のシロアリの分布の変遷と由来について(南山1978)(佐藤・吉田1983)(佐藤ら1987)
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