RMQSTFEBKDLONPJGHIACリダから運ばれてきた米軍の建築資材にイエシロアリが営巣しているのを見た, という証言もある。ヤマトシロアリについては, 採集標本や被害に関する記録は全くなく, この当時には分布していなかったようだ3)。 1983年3月には, 佐藤・吉田(1983)4)による父島と母島での調査が行われ, 父島では被害地域が大きく拡大していることが明らかにされた(図1)。母島では, イエシロアリの被害は未だ生じていないという意見が多くの島民からあったが, 庭の杭など数カ所で母島初となるイエシロアリの分布を確認したとしている。松浦ら(1984)5)は同時期の1983年2月に父島で調査を行っており, 佐藤・吉田(1983)4)と同様に父島でのイエシロアリの被害の拡大を報告している(図1)。 山野ら(1985)6)と佐藤ら(1987)7)は, 1984年7月に父島と母島をはじめとする小笠原諸島6島で, また1984年11月~1986年3月に数回に渡り父島で調査を行った。これらの調査では, 母島に(おそらく父島にも)ナカジマシロアリが分布していることが確認され, 父島の中央山南側ではついにヤマトシロアリが発見された。また, イエシロアリが父島のほぼ全域と父島の北にある兄島と弟島にも分布を広げていることが判明した(図1)。佐藤ら(1987)7)は, リュウキュウマツが多い弟島にはイエシロアリが父島と同じくらい高密度に分布しているのに対し, 兄島は父島と隣接しているにもかかわらずリュウキュウマツが少なく、かつイエシロアリの密度も低いことを見出し, イエシロアリの密度はリュウキュウマツの密度に大きく依存しているのではないかと考えた。 母島では, 先の1983年の佐藤・吉田らの調査4)でイエシロアリによる被害が確認されたことになっていたが, 佐藤ら(1987)7)の1984年の調査ではイエシロアリの分布は確認されなかった。このことから佐藤らは, 仮にイエシロアリが定着していたとしても, その密度はかなり低いのではないかと考えた7)。また, 母島の建物にはダイコクシロアリの被害が目立ち, 自然環境にはナカジマシロアリが多く見られたことについて, イエシロアリが分布していないか, 密度が極めて低いことが, ひとつの要因ではないかと考察している。一方, 筆者が関係者らから聞いたところによれば, 佐藤・吉田(1983)4)以降, 母島でイエシロアリが確認されたのは1998年に長浜周辺(長浜トンネル)で見つかった事例が最初であり, このイエシロアリはトンネル工事資材に紛れて父島から持ち込まれた可能性が高いとのことであった。図2 イエシロアリ属とヤマトシロアリ属の採取地点 イエシロアリ属は2014年9月~2015年4月に採取し, ヤマトシロアリ属は2017年6月に採取した。地図中のA~KおよびM~Tはイエシロアリ属, Lはヤマトシロアリ属の採取場所 (A:大根山,B:扇浦,C:州崎, D:夜明山,E:奥村,F:清瀬, G:吹上谷,H,I:宮之浜道, J,K:境浦,L:初寝浦展望台付近, M,N,O,P,Q,R:庚申塚, S:長浜,T:船見台)Termite Journal 2022.1 No.1773131弟島兄島父島母島
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